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2020/11/26

ベートーヴェンとコントラバスについて

音楽翻訳担当の池上秀夫です。

2020年は新型コロナ(COVID-19)に振り回され続けた年になりそうです。日本の年末をいえばベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)の『第九』(Symphony No. 9)のコンサートが風物詩のようになっていますが、今年は第九のコンサートもかなりの数が中止に追い込まれてしまっています。早く状況が落ち着いて、またコンサートを楽しめる状況が戻ってほしいものです。

ベートーヴェンの名前が出ましたので、久しぶりにクラシックの話題ということで、ベートーヴェンについて書きたいと思います。

つい先日、NHKでベートーヴェンの難聴の病状について探っていくという番組が放送され、その中でピアニスト(pianist)の清塚信也氏がベートーヴェンについて「好ききらいを超えた存在」と言うと同時に、「演奏するのがとにかく大変で、演奏家の中には「ベートーヴェンがいなければよかったのに」と思う人もけっこういるのではないか」と冗談交じりに言っていました。実際、ベートーヴェンの曲は技術的にもかなり高度なものが要求されることが多く、演奏家の人たちが苦労しているのは間違いない事実です(もちろん、苦労するに値する音楽であるのは言うまでもありません)。

そしてこのベートーヴェン、コントラバス(contrabass、double bass)にとってもなかなか大変な曲をいろいろと残しているのです。

交響曲第5番(Symphony No. 5)『運命』と言えば、冒頭からはじまるあの主題(theme)が何と言っても有名ですが、コントラバス奏者にとっては第3楽章に見せ場であると同時に最大の難所が待ち構えています。今回の原稿の準備の過程で、以下のような動画を見つけましたので、リンクを貼ってみます:

https://youtu.be/8_zp5kzRc88

これは同曲の第3楽章のコントラバス・パートを映したものです。動画の2分04秒あたりからコントラバス奏者たちの動きが激しくなるのがお分かりになると思います。ここはコントラバスが主旋律を担っているのです。

従来、コントラバスという楽器はあくまでも伴奏楽器であると考えられ、メロディを担当することはほとんどありませんでした。ハイドンの曲にいくつかコントラバスのソロ・パートがあるのと(交響曲第6番『朝』や同第31番『ホルン信号』)や、コントラバス協奏曲を書いたという記録(楽譜は焼失したとされる)はあるのですが、ハイドンの場合は自身が率いるオーケストラの馴染みの奏者のためにソロを用意した、いわば「あて書き」です。そのようなアプローチは違って、オーケストラの中でこれだけコントラバスに活躍の場を与えたというのは、少なくとも現代に名前が残る作曲家の中ではベートーヴェンが先駆的な存在だと思われます。

『運命』以外にも、交響曲第9番の第4楽章の冒頭にもコントラバスが主旋律をとる部分があります。

ベートーヴェンがこのようにコントラバスを大きく扱うようになったことに影響を与えたと考えられている人物がいます。彼と同時代のイタリアのコントラバス奏者、ドメニコ・ドラゴネッティ(Domenico Carlo Maria Dragonetti, 7 April 1763 ? 16 April 1846)です。

ドラゴネッティはイタリアのヴェネツィア(Venezia)に生まれ、のちにロンドン(London)やウィーン(Wien)などでも活躍した名手で、コントラバスのための曲も多く残している人物です。

上にも書いたように、当時コントラバスはあくまでも伴奏楽器という認識が主流で独奏楽器として扱われることはほとんどなかったのですが、そんな中でドラゴネッティは革新的とも言える技術によって名手として名をとどろかせました。

ベートーヴェンが自身の曲の中でコントラバスが活躍する場面をいくつも設けたのは、ドラゴネッティと近しくなることで「コントラバスにもここまでのことができるのだ」と考えるようになったことによるものと考えられています。

現代の演奏家でも苦労するくらいですから、当時のコントラバス奏者たちは「ドラゴネッティみたいな別格の人と同じことをやらせるなよ!」と思っていたかもしれません。しかし、このような革新の積み重ねで音楽の可能性が広がってきたというのは間違いないでしょう。

クラシックの曲には、同時代の演奏家にインスパイアされた曲も多く、ベートーヴェンにもヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(Violin Sonata No. 9 “Kreutzer”)のように、同時代の演奏家に献呈した曲もあります(クロイツェルの場合、紆余曲折があったのですが)。そして、献呈という形で残ってはいなくとも、ベートーヴェンとドラゴネッティのように、その当時の第一線の音楽家どうしの交流の中から生まれたかもしれないアプローチの存在を知るというのは、これもクラシック音楽を聞く楽しみのひとつと言えるかもしれません。