翻訳家によるコラム「分子生物学・バイオ技術・環境コラム」



分子生物学・バイオ技術・環境コラム

分子生物学・バイオ技術・環境コラム一覧へ戻る

2012/03/06
医学的なショックで肺に硝子様の膜ができる

生物学翻訳、学術論文翻訳、環境翻訳担当の平井です。

「ショック」という言葉は、一般用語では「カレシに別のカノジョがいるのがわかってショック・・・」などと使われますね。医学用語ではちょっと意味が異なります。定義をすると、「急激に発生する循環不全のために、生命維持に必須である臓器や細胞に対して、その生存と代謝に必要な血流供給が充分に確保されなくなった状態」です。つまり、極端に血の巡りが悪くなった状態ということです。

ヒトは片肺(one-lunged)でも生きられますが、ショック状態に陥ると両方の肺が傷害を受けて呼吸不全が生じます。肺の血の巡りが悪くなると肺にうっ血が起きる結果、浮腫(むくみ:edema)が生じます。肺の浮腫とは、肺胞毛細血管から肺胞腔内に浮腫液が浸み出した状態です。ショックではさらに、毛細血管壁が傷害されて透過性が亢進するので、水分だけでなくタンパク成分も浸み出します。肺胞の毛細血管の外側にはわずかな間質組織(interstitial tissue)があり、浸み出した浮腫液はその組織内に留まります。ところがショックでは、肺胞の内側を覆っている肺胞上皮細胞もダメージを受けるので、タンパク成分に富む浮腫液がそのまま肺胞の中にまで出て行ってしまいます。

本来は空気の入る肺胞にタンパク質に富んだ液が入ると、この液が肺胞の壁を覆って膜を作ります。こうしてできた膜は、標本では色のついたガラスのように見えるので硝子膜(glassy membrane)と呼ばれます。硝子膜に覆われた肺胞は、酸素と炭酸ガスのやりとりをうまくできなくなります。

肺の広い範囲で、肺胞が硝子膜に覆われてしまう状態をびまん性肺胞傷害(diffuse alveolar damage)と呼びます。びまん性肺胞傷害はさまざまな病態で発生しますが、ショックはその原因の一つです。このような状態になると、肺は十分な酸素を取り込めないために、全身の臓器が酸素不足にさらされ、傷害されることになります。

ショック肺の患者には、器官内挿管をして人工呼吸器(artificial respirator)をつなぎ、機能が悪化した肺からでも血中に十分な酸素を送り込めるよう高濃度の酸素を与えます。ところが、高濃度の酸素は肺胞上皮を傷害する因子なので、これを与えるほど肺がダメージを受けるという悪循環に陥ります。つまり、人工呼吸器による治療も難しい状態なのです。

一方、生体内では硝子膜を吸収しようと肉芽組織(granulation tissue)が入り込みます。この場合、完全に硝子膜が吸収されて肉芽が消失するまで治ればよいのですが、肉芽が器質化(organized)して残ってしまうと、肺胞構造が改築されて壁の厚い肺胞が出来上がったり、肺胞の中が繊維で埋め尽くされたりします。これがびまん性肺胞傷害の器質化期で、肺胞の壁が厚いために十分なガス交換ができなくなり、結局、肺の機能は低下したままで、回復の難しい状態に陥ります。肺の機能が低下すれば、全身は酸素不足となり、各臓器の傷害はますます進むことになります。


分子生物学・バイオ技術・環境コラム一覧へ戻る