翻訳家によるコラム「分子生物学・バイオ技術・環境コラム」



分子生物学・バイオ技術・環境コラム

分子生物学・バイオ技術・環境コラム一覧へ戻る

2011/10/24
リシンという名のrRNA分解酵素

生物学翻訳、学術論文翻訳、環境翻訳担当の平井です。

リシン(ricin)というタンパク質毒素があります。フォスゲン(phosgene)という毒ガスの40倍、青酸カリ(potassium cyanide)の1万倍という猛毒で、植物から取れます。リシンのタンパク質はA鎖とB鎖からなり、A鎖に毒性があります。B鎖には毒性がありませんが、A鎖を細胞内へ引き入れる役割をします。

リシンの毒性は、およそ4,500ものヌクレオチド(nucleotide)がつながっているリボソーム280RNAの、4324番目のアデノシン(adenosine)からアデニン塩基(adenine base)を切り取ることによります。ここの一ヶ所だけで、他は切りません。ものすごい選択性です。こんなものが世の中にあるということが、驚異的に思えます。リシンは酵素なので、たった一分子が細胞内に入るだけで、次々にrRNAの塩基切断を繰り返します。その結果、細胞は翻訳ができなくなって死にます。ただ、フォスゲンや青酸のような毒と違って、即死ではありません。リボソームが壊れて翻訳がストップしても、その時点で存在しているタンパク質が使える間は死にませんからね。

リシンは聞いたこともないような恐ろしい毒草から取れるわけではなく、ヒマの種子から、下剤としても使われるヒマシ油を抽出した残りカスに多く含まれています。ヒマは比較的ありふれた植物であるし、ヒマシ油(castor oil)は下剤(laxative)以外にもさまざまな利用をされますが、普通はヒマシ油のほうに関心があるので、残りカスは関心を持たれません。しかし、自分で精製する気がありさえすれば、入手可能な毒物らしいです。

どうしてこんなにも切断の特異性が高いのだろうと感心するし、どうしてそんなものを植物が持っているのだろうとも思います。また、どうして植物自身は無事なんだろうという疑問もあります。

リシンは注射で最も強い毒性を示し、吸入による肺からの吸収がこれに次ぎ、意外なことに経口摂取(oral ingestion)でも胃や腸での消化をまぬがれ、体内へ吸収されるといわれます。実は、腸管出血性大腸菌(enterohemorrhagic E. coli)の毒素や赤痢菌(dysentery)のベロ毒素(verotoxin)は、AとBのタンパク質からなる同様の作用を持つ毒素です。

1978年にイギリスへ亡命中のブルガリガ人が、地下鉄で傘の先に仕込まれた直径1mmの白金‐イリジウムの小球に封じ込まれたリシンを背後から射込まれて、死亡したことは有名です。この他、リシンによるテロはいくつも例があります。


分子生物学・バイオ技術・環境コラム一覧へ戻る