翻訳家によるコラム「分子生物学・バイオ技術・環境コラム」



分子生物学・バイオ技術・環境コラム

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2013/01/22
高峰譲吉と発酵の歴史

生物学翻訳、学術論文翻訳、環境翻訳担当の平井です。

高峰譲吉は1854年に加賀藩の御典医高峰家の長男として生まれました。化学を学び、明治新政府の農商務省に入局しました。医者の息子でありながら化学の道を志したのは、「医者は一人ひとりの患者を救うが、化学は一度にたくさんの人を救える」と考えたからといわれており、その高い志が伺えるエピソードです。

その後、日本の商業の生産性を高めるためには化学肥料(chemical fertilizer)の普及が必要と思い立ち、官僚を辞めて人造肥料製造会社を設立し、その運営の傍ら研究活動も始めました。ここで「高峰式元麹法」を発明します。この方法は、ウィスキーの製造に用いられる液化糖化酵素(モルト:malt)源である麦芽の代わりに、小麦粉製造時にできる廃棄物(ふすま)と日本の麹カビ(アスペルギルス-オリゼ:Aspergillus oryzae)を混ぜて培養して作った酵素源を用いるので、安価でかつ麦芽法よりも高濃度のアルコール発酵ができるので濃縮のための蒸留(distillation)も不要である画期的な方法でした。

この方法に注目した米国のウィスキートラスト社から招待された譲吉は家族とともに渡米します。譲吉36歳のときです。米国での研究は成功しましたが、新方式の出現で失業することを恐れた既存モルト業者らの抵抗は激しく、暴漢に襲われて命を落としそうになることもありました。

それでもめげずに本格的な製造をしようとした矢先、工場が火事で全焼するという危機に見舞われます。反対派による放火との噂もありますが真相はわかりません。それでもウィスキートラスト社の社長らと再起に向けて奮闘しますが、出資者の妨害や会社自体も解散に追い込まれるなどして、新方式によるウィスキー製造は断念せざるをえませんでした。

失意の譲吉は持病の肝臓病を悪化させ生死の境をさまようほど苦しみましたが、奇跡的に持ち直したのち、麹の研究を続けて「タカヂアスターゼ」の発明を成し遂げます。さらに7年後、ノーベル賞級の発明と称される「アドレナリン」の単離に成功し、富と名声を手にして米国で最も有名な日本人になりました。科学者・実業家としてだけでなく、民間人ながら日米の懸け橋になろうと積極的な外交活動も展開しました。1922年に米国で68歳の生涯を閉じましたが、米国の各新聞は社説でその死を惜しんだとされています。譲吉は世界の偉人の一人ですが、その生涯の栄光と挫折に発酵が深くかかわっていました。


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