「永遠の門 ゴッホの見た未来」「蜜蜂と遠来」音楽家に対する生前の評価、死後の評価について



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2019/12/4
「永遠の門 ゴッホの見た未来」「蜜蜂と遠来」音楽家に対する生前の評価、死後の評価について

音楽翻訳担当の池上秀夫です。

フィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)を題材とした映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』(At Eternity's Gate)が公開になります。ゴッホと言えば生前には2枚しか絵が売れず、死後に評価が大幅に高まったことはみなさんご存知のことと思います。では音楽の世界ではこのようなことは起きるのでしょうか。

イギリス在住の作曲家で映画『蜜蜂と遠来』の音楽も担当している藤倉大氏(Dai Fujikura)によると、どうやらそれは難しいようで、音楽、特に楽譜での表現が不可欠と言えるクラシックやその系列に属する現代音楽の領域に関して言うと、後世に残るためには生前にある程度の評価を得ている必要があるようです。

美術との最大の違いは、音楽の場合は「実演」を必要とする、というところです。生前に無名だった人の場合、残された作品を傑作と評価する人があらわれても、実演をどうするか、という問題に直面してしまいます。特にオーケストラなどの大編成の曲だと、関わる人の数も非常に多くなり、その実演、すなわちコンサートを実行すること自体簡単なことではありませんし、無名の作曲家の作品を上演するコンサートをビジネス的に成立させることも非常に困難であることは想像に難くありません。そのようなことを考えると、作品自体をそのまま目で見ることができる美術と違って、音楽の世界ではゴッホのような形で評価を得るようになることは、やはり難しそうです。

二十世紀後半に活躍した現代音楽の大家たちにも鬼籍に入る人が増えてきたことで、生前高い評価を得ていた作曲家の作品が死後どのような扱われ方をするのか、という実例を、私たちは現代音楽の領域で見ることができます。

日本の作曲家で言うと、1996年に逝去した武満徹(Toru Takemitsu)の作品は死後も演奏される機会は多く、むしろ死後のほうが演奏される頻度は増えているのではないか、と感じられるくらいです。ハンガリーのジェルジュ・リゲティ(Gyorgy Ligeti、2006年没)も今も演奏機会は多いですし、ギリシャ出身でフランスを拠点に活躍したヤニス・クセナキス(Iannis Xenakis、2001年没)も、死後も演奏機会が減る様子はありません。大学で建築や工学を学んだ後に音楽に転じ、作曲にコンピュータや確率論などを導入するといった非常に斬新な手法を切り開いてきたクセナキスの作品が残っているところを見ると、手法の斬新さだけでなく、音楽としての魅力が根底にあるのだな、ということを改めて思わされます。

また日本でも名前がよく知られているジョン・ケージ(John Cage、1992年没)も同様に演奏され続けています。ただケージの場合、生前に注目を集めていたチャンス・オペレーションを取り入れた「最先端」の作品以上に、初期の作品の評価が死後に高まっている、という印象があります。

一方、死後に演奏機会が減った作曲家もいます。例えばルチアーノベリオ(Luciano Berio、2003年没)。イタリアの現代音楽の大家であり、作品数もかなり多い人で、後の世代にも大きな影響を与えてきた音楽家なのですが、亡くなってからは演奏される機会は減っているようです。評価が変わったという話も聞きませんし、現代音楽を中心に演奏している音楽家の知人にも「そういえばベリオって演奏されなくなったね」ということを言っていて、明確な理由はよく分からないのですが、演奏機会は減っています。

同様な例としてもう一人あげられるのがフランスのピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez、2016年没)です。ブーレーズの場合、演奏機会が減っている原因は比較的はっきりしています。ブーレーズは指揮者としても活躍した人で(むしろ第一に指揮者と認識している人も多いかもしれません)、自分が書いた作品を自分で指揮することが多く、特にレコーディングで「自作自演」で自分の作品の決定版と言える録音を多く残しているため、なかなか他の音楽家が手を出しにくくなっている、という状況があります。ちょっと皮肉な状況と言えるかもしれません。

わたしたちが今も聞き続けているバッハ(Johann Sebastian Bach)やモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)といった作曲家たちも歴史の選別を経て残ってきているわけですが、そのような歴史による選別のプロセスを、わたしたちは現代音楽の作曲家たちが残した作品の扱われ方という実例をもって体験しているのかもしれません。


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